限(かぎ)りなき光(ひかり)と寿(いのち)の仏(ほとけ)
阿弥陀如来(あみだにょらい)がさとりを開(ひら)く前(まえ)、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)であったとき、すべてのものを救(すく)うため、限(かぎ)りない光(ひかり)と寿(いのち)をそなえた仏(ほとけ)になろうと誓(ちか)われた。そして果(は)てしない修行(しゅぎょう)の末(すえ)に、その願(ねが)い...
阿弥陀如来(あみだにょらい)がさとりを開(ひら)く前(まえ)、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)であったとき、すべてのものを救(すく)うため、限(かぎ)りない光(ひかり)と寿(いのち)をそなえた仏(ほとけ)になろうと誓(ちか)われた。そして果(は)てしない修行(しゅぎょう)の末(すえ)に、その願(ねが)い...
あらゆる者(もの)を救(すく)いとる教(おし)えこそ真実(しんじつ)の教(おし)え、究極(きゅうきょく)の教(おし)えである。 親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)は仰(おお)せになる。 それ真実(しんじつ)の教(きょう)を顕(あらわ)さば すなはち『大無量寿経(だいむりょうじゅ...
親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)は仰(おお)せになる。 凡夫(ぼんぶ)というは 無明(むみょう)煩悩(ぼんのう)われらが身(み)にみちみちて 欲(よく)もおおく いかり はらだち そねみ ねたむこころおおくひなまくして 臨終(りんじゅう)の一念(いちねん)にいたるまで とどまらず ...
日々(ひび)の暮(く)らしのなかで、人間(にんげん)関係(かんけい)に疲(つか)れたとき、自分(じぶん)や家族(かぞく)がおおきな病気(びょうき)になったとき、身近(みぢか)な方(かた)が亡(な)くなったとき、「人生(じんせい)そのものの問(と)い」が起(お)こる。「いったい何(なん)のために生(...
彼岸(ひがん)とは、念仏(ねんぶつ)の教(おし)えをいただくものが、いのち終(お)えて生(う)まれていく さとりの世界(せかい)。仏(ほとけ)となった懐(なつ)かしい方々(かたがた)がおられる、阿弥陀如来(あみだにょらい)の西方浄土(さいほうじょうど)のことである。 善導大師(ぜんどうだいし)...